日本人の起源について

日本人バイカル湖畔起源説

科学技術の進歩により、新しい事実が発見されている。DNAによる人類のルーツと分布の関係についての研究が行われてきた。抗体を形成する免疫グロブリンを決定する遺伝子(Gm遺伝子)頻度が民族ごとに固有の値となり、民族を示す基準として活用できることから、大阪医科大学名誉教授の松本秀雄が、20,000人以上の血清調査結果を分析した結果、日本人の起源について重要な成果を示している。

 

①Gm遺伝子の分布によって、モンゴロイドは、「南方系」と「北方系」に大別される。そして、日本人のほとんどは「北方系」である。南方系モンゴロイドとの混血率は低く7~8%以下である。

②日本人は、北海道から沖縄に至るまで、基本的に北方型の遺伝子を持ち、ことGm遺伝子に関する限り、アイヌと島嶼を除き、顕著な等質性を示した。

③アイヌと沖縄・宮古の人々は他の日本人集団よりも北方型遺伝子の一つの頻度が高く、南方型遺伝子の一つの頻度が低い等、幾分の相違を示し、その両者は特に等質性が高い。

④台湾の土着の民族や約300年前に南中国から移住した人々の子孫である台湾人を調べると、典型的な南方系モンゴロイドのパターンを示しており、沖縄やアイヌの人々とは高い異質性を示している。

⑤朝鮮民族は、朝鮮半島(韓国)の人々と中国の朝鮮族とは高い等質性が認められ、日本人と同じように北方系モンゴロイドに属するGm遺伝子パターンを持つが、日本人以上に南方遺伝子の頻度が高く、日本人との異質性が存在することから、当初は日本民族と非常に近い遺伝子パターンを持っていたが、中国と朝鮮とのあいだの、相互移民や侵入などによって、海で隔てられた日本に比べ、北方少数民族や漢民族との混血をする機会がはるかに多く、これが民族の形成に影響したと考えられる。

⑥中国の場合は、Gm遺伝子の頻度分布に、南北方向の勾配がみとめられる。漢民族の場合は、「北方型」と「南方型」の二つの型の存在を考えないと、分布パターンの説明が難しい。

 

このことからアイヌ、沖縄の人々が北方型遺伝子を多く持つことから、日本人のベースとなったのは縄文人であり、南方系モンゴロイドではなく北方系モンゴロイドであったこと、そしてその起源はバイカル湖畔にあり、ブリアート族と推定している。

分子人類学からのアプローチ

母系遺伝子研究のミトコンドリアDNAを分析研究する取り組みが1980年代から行われてきた。ハプロタイプ(生物がもっている単一の染色体上の遺伝的な構成のことで具体的にはDNA配列)を分析することで遺伝系統を推定する技術であるが、日本人と周辺の人々のハプロタイプを比較し、人類の起源から、どのようなルートを辿って日本列島にたどり着いたかを推定できるようになった。

 

分子生物学者の崎谷満は、日本人には特徴的なハプログループM7aに着目し(アイヌと沖縄・宮古の人々に比率が高く本州で比率が少なくなるという分布が特徴)、M7aは極東・アムール川流域にも見られるほか、シベリア南部(ブリアート)、東南アジアにも見られるとし、発生したのはシベリア南部~極東あたりと予想する一方、台湾先住民にも台湾漢民族にも存在せず、台湾から北上して日本列島に入ったものではないとしている。

 

1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展した。ヒトのY染色体のDNA型はAからTの20系統があり、その中でもD1b系統は主に本土日本人・アイヌ・沖縄に固有に見られるタイプで、アイヌに高頻度で、本土日本人、琉球人の平均でも、最も頻度が多い。縄文人の血を色濃く残すとされるアイヌに88%も見られることから、ハプログループD1bは縄文人特有のY染色体だとされる。朝鮮民族や漢民族など周辺民族には稀にしか見られないことから、日本からの再流入と考えられる。現在世界でD系統は極めて稀な系統になっており、日本人が最大集積地点としてその希少な血を高頻度で受け継いでいる。その他ではチベット人やアンダマン諸島、東アジア・東南アジアの一部に存続するだけである。

O1a系統は台湾の原住民の男性に非常に多いが、台湾と近いにもかかわらず、日本列島ではO1aはごく少数に過ぎない。約2800年前に長江文明の衰退に伴い、O1b2系統が移動を開始した中国江南から水稲栽培を持ち込んだ人々と考えられるとしている。

 

この他に、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかったとしている。

外来土器の分布からの検討

弥生早期の遺跡に外来系の土器が玄界灘に面した大きな遺跡からしか発見されていないことから、弥生人(渡来系)の人数を1割程度に見積もる研究者が多い。一方で、人類学者の埴原和郎や宝来聰は、大量の渡来があったとされ、人類学者の中橋孝博らによる人口シミュレーションでは農耕民の弥生人は狩猟民である縄文人よりも人口増加率が高く、渡来が少数でも数百年で大きく数を増やす可能性があるとの見解を示している。

 

一方で、弥生時代の遺跡で出土した人骨は、北九州や山口県をのぞく地域では縄文系とされる人骨の方が多く、弥生時代に実際に稲作を行っていたのは縄文人の系譜を引く人々の方が多いと思われる。特に東日本においては渡来系の特徴を持つ人骨の比率は2割に満たない。そのため現在では、日本の文化は日本独自の縄文文化を土台として発展していて、弥生人が日本人に与えた影響はわずかであり、むしろ弥生人が日本に何らかの形で亡命せざるを得なかった人たちであると考えられている。

民俗学的アプローチ

先史・考古学、言語学、宗教学、形質人類学、神話学の手法を併せて日本の基層文化を研究考察した民族学者の岡正雄は、日本文化の基盤に大きく影響を与えた5つの種族文化が渡来したとしている。

 

①母系的、秘密結社的、芋栽培=狩猟民文化(メラネシア方面)

縄文中期はじめ頃日本に流入し、メラネシア原住民の文化と著しく一致した文化で、乳棒状石斧、棍棒用石環、石皿、土器形態と文様、土偶、土面、集団構造等が特徴とされている。男性秘密結社の祭り(ナマハゲ)、タロ芋の一種であるサトイモを祭事の折の食物にする等が具体的事例。メラネシアは西南太平洋の地域のことで、ニューギニア島、ビスマルク諸島、ソロモン諸島、フィジー諸島、サンタクルーズ諸島、ロワイヨテ諸島、チェスターフィールド諸島などで構成され、パプアニューギニア、ソロモン諸島、フィジー諸島、バヌアツの各国と、フランスの属領であるニューカレドニア島が含まれる地域。

②母系的、陸稲栽培=狩猟民文化(東南アジア方面)

縄文末期に日本に流入し、狩猟生活とともに山地丘陵の斜面の焼畑において陸稲を栽培した。太陽神アマテラスの崇拝、家族的、村落共同的シャーマニズム、司祭的女性支配者等が具体的事例。

③父系的、「ハラ」氏族的、畑作=狩猟民文化(北東アジア・ツングース方面)

弥生初期に満州、朝鮮方面からツングース系統のある種族によって日本に流入した文化。粟、黍を焼畑で栽培しながらも狩猟も行った。アルタイ語系の言語を最初に日本に持ち込んだのはこの種族とされ、櫛目文土器、穀物の穂摘み用半月系石器等が具体的事例。

④男性的、年齢階梯制的、水稲栽培=漁撈民文化(中国江南地方)

紀元前4世紀から5世紀頃、揚子江の夏口地方よりも南の沿岸地域から呉、越両国滅亡に伴う民族移動の余波として日本に渡来したもの。弥生文化における南方的と言われる諸要素を日本列島にもたらしたとする。水稲耕作、進んだ漁撈技術、板張り船等が具体的な事例。 

⑤父権的、「ウジ」氏族的=支配者文化(アルタイ、朝鮮半島)

支配者王侯文化・国家的支配体制を持ち込んだ天皇氏族を中心とする部族の文化。3~4世紀頃に日本列島に渡来。大家族、「ウジ」族、種族のタテの三段に構成される種族構造が特徴。「ウジ」父系的氏族、軍隊体制、王朝制、氏族長会議、奴隷制、氏族職階製、各種の職業集団、鍛冶職集団などを所有。氏族や種族を五つの部分に区画する「五組織」的な社会及び軍事の構造もこの文化。天神崇拝、父系的祖先崇拝、職業的シャーマニズムなどの宗教要素もこの文化。ユーラシア・ステップ地域の騎馬遊牧民の文化と同一のものと考えられる。

言語学からのアプローチ

かつては日本語はウラルアルタイ語に属する言語としてくくられてきたが、日本語の独自性の強さからその起源や言語学的な位置付けを明確にすることが困難とされてきた。古代史研究家の安本美典がアメリカの言語学者モリス・スワデシュの基礎語彙の概念を活用し、言語の系統関係を明確化する取り組みを行った。安本のこの方法は語彙統計学として言語を客観的に分析する手法で、上古日本語(奈良時代の日本語)と周辺地域の言語と比較を行った結果、以下の通り考察した。

 

①日本語、朝鮮語、アイヌ語の三つは語彙において、たがいに、確率的に偶然では起きない一致を示す。文法的にも、音韻でみても近いものを持っている。

②日本語、朝鮮語、アイヌ語の基礎的な面で共通する言語部分を「古極東アジア語」とし、およそ1万年から2万年前の日本海を取り囲む地域で使われた言語と推定できる。

③日本列島が大陸から分離されるにつれ、古日本語(日本基語)、古朝鮮語、古アイヌ語は次第に方言化し、更には異なる言語となっていった。

④日本語の語彙の形成には、「南方語」が強く関与している。このうち、ビルマ系ボド語群と結びつく語彙は、弥生時代はじめ頃、稲作文化と共に中国の江南地方からもたらされた。

⑤台湾のアタヤル語と結びつく語彙は、更に古い時代に日本に流入した。アタヤル語などのインドネシア系の言語を持つ集団は、南九州から四国などに居住していた。

⑥カンボジア語と結びつくモン・クメール語系の語彙が、この列島に流入したのは更に古く、7000年前の縄文期のころとみられる。

⑦古日本語(日本基語)の系統を引く言語に、長江下流域からのビルマ系言語などの影響をうけ、「倭人語(日本祖語)」が成立する。倭人語は、日本列島を言語的に統一していく過程で、古くから列島に存在していたインドネシア系言語などの語彙を取り入れ、歴史時代に入っては、中国語の大きな影響をうけながら、現代日本語を形成するようになった。

 

(2016.3.3)