頭ケ島天主堂

頭ヶ島は、1軒をのぞいて皆キリシタンだったという。迫害が厳しくなり、五島崩れの際に、信徒は牢から全員逃げ出して島を離れ、禁教令が解かれてから、この地に戻ってきた。

頭ヶ島天主堂は、鉄川輿助の設計施工によって、明治43年に着工。近くの石を切り出して建設が始まり、大正8年に完成した。

平成30年)に世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に登録された「頭ヶ島の集落」にある石造りの天主堂。

正式教会堂名は、「日本二十六聖殉教者天主堂」。



青砂ヶ浦天主堂

明治11年頃には小さな集会所にすぎなかったが、大崎八重神父が外国から原書を取り寄せて設計・施工の指導にあたり、現在の教会堂を明治43年に建立。

鉄川與助の手による初期のレンガ造りの教会堂。現在の建物は3代目で、平成22年に献堂100周年を迎えた。

平成13年に国の重要文化財に指定された。日本人設計者による煉瓦造教会堂の最初期のもので、本格的な教会堂建築の基本である重層屋根構成に基づく外観や内部空間が形成されており、その後の煉瓦造教会堂の模範として位置づけられる。

正式教会堂名は「大天使聖ミカエル教会堂」。 



丸尾教会

明治32年頃まで「家聖堂」と呼ばれる信徒集会所があったが、青砂ヶ浦教会主任大崎八重師の時に、丸尾の丘に教会が建築された。

現在の聖堂は昭和47年に里脇大司教により祝別され、昭和50年に丸尾小教区として独立した。

教会建築で有名な鉄川輿助が生まれた地区にある教会だが、比較的新しい教会である。

正式教会堂名は、「王であるキリスト教会堂」。



仲知教会

1810年ごろ、仲知(島ノ首)の移住開拓が始まった。その後、真浦、久志、大水、赤波江と開拓が続き、真浦の浜に教会堂が建ったのは、明治14年で、平屋建ての木造瓦葺であった。昭和7年に主任座が江袋教会から仲知教会に移された。

三代目となる現在の教会堂は、昭和53年、わずか70数戸で築き上げられており、色鮮やかなステンドガラスが印象的。

正式教会堂名は「聖ヨハネ五島教会堂」。守護聖人は聖ヨハネ五島(日本二十六聖人)。



江袋教会

明治15年、パリ外国宣教師会ブレル神父指揮のもと建設された。 

建物構造は、木造単層屋根で変形の寄棟造りで、基本的には日本の伝統技術を用いて設計され、尖塔アーチの窓や鎧戸を備えることによって外観に洋風の雰囲気を与えていた。

なお、江袋教会堂は実際に使用されている木造の教会堂では国内最古とされていたが、平成19年、火災により焼損。柱や梁などの残存部を生かしての修復工事が行われ、平成22年に修復された。

正式教会堂名は「イエスのみ心教会堂」。

 



冷水教会

かつて信者たちは、対岸にある青砂ヶ浦天主堂へ伝馬船で通っていたが、明治40年に現在の教会堂が完成し、青砂ヶ浦天主堂の巡回教会となった。

鉄川輿助が棟梁として初めて設計、施工した教会として知られている。

純然なる木造建築で、列柱は角柱、簡素な植物模様柱頭は旧鯛ノ浦教会堂に酷似し、堂崎天主堂にも相通じるものがある。単層屋根構造、内部は3廊式で主廊部、側廊部ともに漆喰仕上げ4分割ルブヴォールト天井を取り入れ、当時としては極めて斬新な建築であった。全体として穏やかな尖塔アーチを基本に用い、側面の窓は5つの円を組み合わせた模様となっている。

正式教会堂名は「聖ヨゼフ教会堂」。

 

 



大曽教会

明治12年に木造教会を建立し、大正5年に現在のレンガ造りの教会堂となった。

鉄川輿助による設計施工で、ステンドガラスは西ドイツ製、レンガは早岐から仕入れられた。内部は3廊式で、主廊部・側廊部ともに漆喰仕上げ4分割ルブヴォールト天井で造られている。正面中央部には八角形のドームを有する鐘塔が突出しており、レンガの凹凸による装飾、色の異なるレンガを規則的に使用するなど、壁面の意匠化も工夫されている。県指定有形文化財。旧教会は、1915年に若松の土井ノ浦教会として移築された。

正式教会堂名は「イエスのみ心教会堂」。



旧鯛ノ浦教会

上五島の布教の中心として、明治14年に最初の教会が設立され、明治36年に建て替えられた。鐘楼には、一部に長崎市の浦上天主堂の被爆レンガが使用されている。

現在は資料館として使用されており、踏み絵など弾圧時の資料を見ることができる。旧教会の後方には、ルルドや鯛ノ浦集落で布教に尽力された方々の像が建てられており、向かって右左端のプチジャン神父の墓が外れの墓地に、御巣鷹六人切りの墓碑が、教会裏手山腹に建てられている。

正式教会堂名は「聖家族教会堂」。



中ノ浦教会

この地の信者の祖先は寛政年間に入村藩外海地方の黒崎から移住した者である。大正14年に建てられた木造教会。昭和41年、木造教会では珍しく高い鐘塔を増築。 

シンプルな木造教会で、内部に描かれている椿が印象的。椿の花びらは通常5枚あるのに対して、こちらは4枚になっているため、十字架をイメージしたのではないかと言われている。内部の主廊は折上げ天井、祭壇部だけがリブヴォールト天井である。

海辺に映る姿が鮮明であることから、「水鏡の教会」と呼ばれる。

正式教会堂名は「童貞(おとめ)聖マリア教会堂」。



若松大浦教会

十字架が無ければ見逃してしまいそうな、民家風の小さな教会堂。

大正15年、ヒューゼ師により祝別された。

昭和元年創立、昭和20年代民家を借り受けて聖堂にしており、現在は桐教会巡回教会となっている。

祭壇上部に位置する聖母像は、地元大浦地区の方が製作したもので、西洋風の女性というよりも「五島に根付いたやさしい母の顔」をしており、歴史の重みとともに深い信徒心を感じさせてくれる。

正式教会堂名は「イエスの御心教会堂」。



桐教会

桐古里(ふるさと)地区は、大村藩外海地区から移住したキリシタンを祖とする集落。桐古里郷のガスパル与作がプティジャン神父を訪ね、五島におけるカトリックへの復帰を導いたといわれている。

明治30年に建立し中五島最初の小教区として設立。現在の聖堂は、昭和33年改装され、山口大司教によって祝別、献堂され、桐教会復活期の指導者、下村善七・ガスパル与作親子と清川沢次郎翁を顕彰する信仰先達者顕彰碑が昭和45年、教会場内に建立された。

瀬戸に映える赤い屋根の桐教会は、若松瀬戸を往来する船舶の安全を祈るように、丘の上に静かにたたずんでいる。

正式教会堂名は「聖ペトロ教会堂」。



井持浦教会

かつて、大村藩からの移住キリシタンが潜伏し、五島藩が塩造りの竈場で働せたという地区。

明治30年建立のレンガ造教会が台風で倒壊し、昭和63年にコンクリート造の現教会となった。当時の五島列島司牧の責任者ペルー神父は、明治24年、バチカンにこのルルドの洞窟が再現されたと聞き、五島の信徒に呼びかけて島内の奇岩・珍石を集め、明治32年、日本で最初のルルドを作った。この霊水を飲むと病が治ると言われ、日本全国の信者の聖地となっています。

正式教会堂名は「ルルド出現の聖母教会堂」。



堂崎天主堂

禁教令が解かれたあと、五島キリシタン復興の任を帯びて、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れ布教にあたり、明治12年にマルマン神父によって、五島における最初の天主堂(木造)が建てた。その後着任した、ペルー神父によって明治41年に、現在のレンガ造りの教会堂が完成した。

建築の際には資材の一部がイタリアから運ばれ、内部は木造で色ガラス窓、コーモリ天井などの教会堂建築となっている。

県指定有形文化財。

正式教会堂名は「日本二十六聖人殉教者教会堂」。



福江教会

明治以降、旧福江城下に五島各地から信徒が集まり、大正3年、旧堂崎小教区から独立した。現教会は、昭和37年に建立された。

この年の市中心部で発生した大火災「福江大火」では、奇跡的にこの教会だけは焼失を免れ、焼け跡にそびえ立つ教会が、復興のシンボルとして被災者を勇気づけた。

下五島地区では信徒数が最も多い教会で、市内の教会の中心的な役割も担っている。

正式教会堂名は、「イエズスの聖心教会堂」。